↓ 改めて各車を。最初はクモハ53007。戦前型末期の飯田線では一番人気でした。その頃に撮影した画像を見ると、最終営業列車が天竜峡〜豊橋で1983年6月16日のこと。置換え中の臨仕業が組まれた中の「臨92」仕業が最終仕業でした。天竜峡まで4連でやってきた列車の豊橋より増結され、夜間ではありましたが最後は6連の先頭に立ちました。途中で長停した小雨の平岡駅で同志たちとバルブ撮影したのが、ここの2枚目です。豊橋到着後は豊橋区に取り込まれ、翌日疎開先の西浜松に回送されました。このページにあるヘッドマークは天竜峡駅職員氏手製のもので、構内で昼寝している車両の撮影を申し込むと借りることが出来たのでした。1983年5月とありますから、ちょうど30年前。そんなに前のことだったのかと、歳を感じてしまいます。
↓ 続いてクハ68420。飯田線に転属してからトイレを取り付け400番台になった車両です。周遊券で現地入りして、真っ先に静ママの構内見学に行くと、見学申し込み時に周遊券を提示すれば、向こう一週間の運用予定表を貰うことが出来ました。それを片手に飯田線内を撮り歩いたものでした。当時は学生で金が無かったのでフィルムは白黒で自宅現像が基本。プリントもあまり出来ませんでした。今ならスキャナで取り込んで見れるので便利な時代になりました。
↓ 次はクモハ53008。同じ合いの子でも普通屋根だった008は結構地味な存在だったように感じます。でも引退後に実施されたさよなら運転では予想に反してこの子で運転されました。
↓ 最後はクハ47009。非貫通の前面を持ち、狭窓がずらりと並んだ美しい側面を持ちます。同じクハ47でも100番台の47104とはかなり印象が異なります。KATOの飯田線シリーズ、今後の展開が楽しみです。