スキャンした画像も、もうすぐ20000コマに到達します。その中から最近スキャンした画像をご紹介。(2016/04/18)
↓ これは1990年3月31日の撮影です。門司駅を通過する貨物を撮影してました。カマは当時の定番EF30の重連、後ろに続く貨車がいろいろあって、見ているだけで楽しそうです。今なら間違いなく全車撮影するところですが、この頃はそんなところまで気が回りませんでした。
↓ 次は下関での撮影。九州から関門トンネルをくぐって気動車が来てました。はじめて見たキハ66・67が写っています。今なら歩いていって一両ずつ全部を撮りますけど、この時はズボらに動かずに撮ってます。
↓ またまた門司に戻って、ED72のブルトレです。当時唯一のブルトレ牽引運用があさかぜでした。ステンレス機からの交換が終わって発車したところです。雨でもないのに空転したのか、砂撒きしてます。
↓ 場所は変わって高松運転所。アタシの好きなDF50を追いかけて撮影に行った時のものです。亀山から転属してきた64号機。総括制御用のジャンパ受が2エンド側に取り付けられ、長い開放テコとヨロイ戸フィルターに交換した四国仕様になっています。四国は高松運転所と高知機関区にカマがいましたが、島内流動という呼び方だったか、他の地区から来たカマは必ず高松に配置され、いきなり高知に配置されることはない、という内部ルールがあった、ということを高知機関区で職員の方から教えてもらった記憶があります。
↓ 同じく高松運転所でキハ57です。横軽向けにキハ58にエアサス台車を履かせたキハ57が、実は四国にもいました。撮れるチャンスがあまりない連結面から。横には四国にしかいなかったレアな形式のキユ25が写っています。
↓ お召し予備機だったEF58の60号機。あまり撮影する機会には恵まれませんでした。これを含めて3回くらいしかなかったと思います。大学時代だったら幹線で追っかけですけどね。左から二本目の線路がジョイントの数が異様に多くヘロヘロしているように見えます。この線路は東海道本線の普通・快速・新快速が走っていた線路です。今はロングレールになっていたと思います。
↓ 亀山機関区です。DF50もそろそろ終焉が見え始めていた頃でした。DF50を置き換えるために長崎・佐世保線の電化で余剰となったDD51が大量に転属してきてました。まだ来たばっかりで、機関区構内にまとめて留置されていた時のものだと思います。キハ35、いやいやトイレが無いのでキハ36、なつかしい一般色、しかも連結面側です。この場所に留置されているので、もしかしたら廃車近いものだったのかも。