フィルムスキャン作業のページ(2016年-11) 

昨日は土曜日で家にいましたので、フィルムスキャンがはかどりました。(2016/04/10)

↓ 今では全線電化された福知山線ですが、一番最初は尼崎〜宝塚が1981年4月1日に電化開業しました。これはその電化開業前の試運転の模様を撮ったものです。電化開業当初は6連だった103系も後に4連に短縮され、余ったモハユニットは片町線と常磐線へ転属していきました。このページの下のほうにある画像の黄色がその転属車両です。

↓ 過去の車両となった緩急車。その中でもワフは早くに姿を消したような気がします。1981年に尼崎駅での撮影です。

↓ こんなの撮った記憶が無かったのですが、雪の重みで車庫の屋根が崩落したとかの被害でしょうか。1981年3月21日と記録があり、84年敦賀区で開催された撮影会では34号機のナンバーをはりかえて36号機に仕立てたと聞いたので、この36号機はこのあと一旦修理されたものの、休車となり福井駅で長期間留置され、撮影会時点では移動もままならない状態になっていた、ということになります。

↓ こんなのも撮ってました。尼崎港まで伸びていた福知山線の支線でDD13が客車を牽引することでファンの間では有名でした。1981年3月29日の撮影なので、旅客営業廃止の直前だったことになります。

↓ こんな車両も撮ってました。当時はあまりお金が無く東京遠征はなかなか行けなかったので、東京近郊にしかいない車両はほとんど撮れてないのです。たぶん中央線の列車の窓からの撮影だと思います。1983年3月11日撮影との記録があります。

↓ EF58が運用されていた最後の頃に、宮原〜向日町で特急つるぎの客車を回送する仕業がありまして、午前の向日町行きは時間帯もよく、何度も撮影しました。すでに特急の定期仕業がなかったゴハチが毎日日替わりで牽引するので、注目しているファンは多かったです。当時の塚本駅はこんな感じで長い編成もきれいに撮れました。1983年11月末の撮影です。

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