フィルムスキャン作業のページ(2016年-08) 

2016年1月から再開したフィルムスキャン、ようやく10000コマを超えました。しかし未スキャンネガはまだ大量に残っています。スキャン画像の紹介ページではトリミングなしで公開していますので、撮り方がいかにいい加減なのかがバレてしまいます(>_<)\バキ (2016/03/14)

↓ 前回ご紹介した高校野球臨の続きです。高崎商業高校応援団向けの臨時列車には、関西ではお目にかかれない185系が充当されました。7両の基本編成×2の14連という長大編成での来阪でした。アタシが撮影したこれとほぼ同じアングルのカラー写真が知り合いの国鉄職員経由で鉄道ファン誌に掲載されました。

↓ ちょっと衝撃的な画像ですが、たまたま撮影に出ていた時に発生して、しっかりと野次馬してしまった写真です。大阪環状線の電車が大阪駅西側にある引き上げ線に入ったところで泊まりきれずにクルマ止めを乗り越えて架線柱に当たったところで止まった様子でした。架線柱は環状線と兼用されているものだったので、環状線は運休、この写真は影響が無かった東海道本線の普通列車内から撮ったものです。事故車はたしかクハ103-258だったと思います。撮影日は1986年10月8日との記録がありました。

↓ 紀勢線で走っていたEF58の中でも人気があったロクロク。竜華区特有のブタ鼻がご愛嬌ですが、原型大窓+ヒサシ付の凛々しい姿を追っかけて、何度も通ったものです。この時は東サロが紀勢線に入線しロクロクが牽引するという情報が入ったので迷わず撮影に出かけました。1985年10月25日と記録がありました。

↓ 鳥取お召しの1号編成回送を撮影に出向いた時に、ついでに113系も撮ってました。曇天だったようで床下機器も黒潰れすることなくきれいに見えて、模型向け資料としては申し分ないものです。でも当時はこういった国電を撮影していると、周りにいる同業者から「こんなもの撮って面白いか」見たいなささやきが聞こえることが何度かありました。たしかにゴロゴロと同じものが何本も走っていて、おまけに撮影の邪魔をされることも多々ありまして、いい印象は持ってなかったでしょうから。でも、その囁きには「30年後に笑うのはどっちだ?」と心の中で言い返してました。結果は明白、すべてが貴重な記録ですから。撮影日は1986年10月19日とありますが、1985年の間違いだったようです。

↓ かいじ国体に絡んで運転されたお召しです。日章旗が「万歳」してしまったのが残念です。これがきつかけで、牽引気のEF6477は解体されずに稲沢で再塗装の上で保管されているようです。1986年10月の撮影です。

↓ 手元のメモでは1986年10月21日の撮影とあったのですが、ネットで確認すると85年にわかとり国体絡みで運転されたお召しのようです。記録を修正しておかないと・・・。

↓ このころには貨車にも目を向けていたようです。大垣だったと思いますが美濃赤坂からの石灰輸送列車ではないでしょうか。1985年9月5日と記録してあります。

← トップページへ戻る