フィルムスキャン作業のページ(2016年-07) 

2016年1月から再開したフィルムスキャンの続きです。「スキャンしたものから編」その5。(2016/03/11)。

↓ このころには「番号集め」も本格化していたようです。常磐線で走ったお召しを撮影に行った後、当時恵比寿駅前横にあった国鉄が経営していたカプセルホテルに宿泊し、翌朝雨の様子を見ようと非常口の扉を開けるとこの光景でした。早速山手線103系の番号集めを開始。と言ってもチェックアウトまでの15分ほどだったと思います。写っているのはモハ102−2、撮影日は1985年6月28日とあります。当時はまだ山手線でも中間に非冷房が入っていたのですね。ちょっと驚き。このカプセルホテルは旧恵比寿保線支区のビルを改装したものらしく84年7月に開業していたようです。こんな扉があるのも納得です。

↓ 国鉄末期は廃車回送が多く忙しすぎました。厳選して撮影に行ったのですが、その中でもEF58の廃回は外せないもののひとつでした。鷹取工場への入場車回送スジの配6981レです。廃車入場と思われるEF58と検査入場と思われるDD51と貨車が何両か連なっています。このスジは何度か撮影しましたが、毎回いろんな組み合わせになってました。定点観測したらかなり面白いものが撮れていたのではないかと思います。東海道本線尼崎で1985年7月8日に撮影との記録があります。

↓ 寝台特急出雲のヘッドマークを付けたEF65PFが工臨を引いた時のものです。当時臨の運転情報は近くの駅で局報を閲覧させて頂いて情報源にしてました。これは工臨の運転情報のカマ運用が、関西ではめったにない東京機関区のカマが充当されていたので気が付きました。東京から京都まで出雲を牽引してきたPFが昼間は梅小路で留置されるのですが、その間合いを利用しての仕業でした。平日なので同業者は少なかったと思います。1985年8月8日に京都で撮影したものです。

↓ 上の工臨を追いかけて篠原だったか、通過を待っていた時に到着したのがサハ111−1。これ以前からトップナンバーを見かけたら必ず撮る様にしていました。たしかゼロ番台のサハは4両しかおらず、すべて関西地区に配置されていたと思います。

↓ 夏の風物詩? 高校野球臨。甲西高校の応援団向け臨時列車です。近隣からかき集めたと思われるキハ58系の10連。この運転情報は学生時代に改札アルバイトでお世話になった某駅の方から鉄道電報の情報を頂いて出撃したものです。野球臨は試合の組み合わせ決定から試合までの日数が少ないので通常の局報では間に合わず、ほぼすべてが電報で配信されてました。電報と言ってもFAXみたいなもので、専用の端末から感熱紙に印字されたものが出てきます。運転時刻、車両運用、乗務員運用と別々に配信されてくるので、それらを結びつけていくのが面倒でもあり、楽しみでもありました。協力してくれる方がいないと入手できるものではないですからね。1985年8月19日と記録があります。

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